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第6日  鶴間〜海老名      

                             歩いた距離 11.8km  2002.08.12

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 小田急江ノ島線の鶴間で下車する。

 駅の横の道を西へ行く。

大和市:マンホール

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 商店街の歩道に矢倉沢往還の新しい道標がある。
この道標には矢倉沢往還の説明とともに
「全国の『大和』という市町村で『まほろば連邦』を
構成している」と書かれている。

 西鶴寺のところにも、矢倉沢往還の道標が立っている。
そこで右側の大和市と座間市の市境の道を行く。

yagu06-04.JPG yagu06-06.JPG  この辺りは工場地帯である。
 国道246にぶつかる。
 国道を渡り旧道にもどると座間市と
海老名市の市境の道である。
 細くて車の通りが多い。

座間市:マンホール

海老名市:マンホール

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 周りは住宅地に変わる。
 相鉄線のさがみ野駅近くの団地の前に「大山街道」と書かれた
新しい道標が立っている。

 駅前の繁華街に来る。

 相鉄線を踏み切り、なお細い市境の道を行く。

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 大塚本町という交通量の多い交差点がある。

 商店の脇に庚申塔かどうかもわからない風化した
石仏が立っている。

yagu06-08.JPG  これからは海老名市と綾瀬市の市境の道を行くことになる。

マンホール:綾瀬市

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 屋敷の前に庚申塔がある。
風化が激しい享保2年(1717)の青面金剛で柏ヶ谷村同行12人と
書かれたものと、万延元年(1860)の文字だけのものがある。

 ここが道が二手に分かれるところらしい。
 そのまま真っ直ぐの道をいく。

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 赤坂のバス停のところに大きな木があり
その下に大山道標を兼ねた不動明王
置かれている。

 この辺りで、渡辺華山は道を左に
それて小園村に向かった。

 華山の旅の目的は、主人の実母のお銀様
の消息を小園村で訪ねることであった
という。

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 厚木・横浜線に合流するとすぐ目久尻川である。

 国分寺跡への道の分岐点に「史蹟逆川」の碑が立っている。
「逆川(さかさがわ)は大化改新が行われた頃、条里制による海老名耕地の
潅漑用と運送用に掘られた川で日本最古の運河」であるといわれている。

 「凡そ1キロ上流で目久尻川を堰き止め分水して、西北方の今泉境で
耕地に注ぎ出しました。このような逆の流れ方をしたので『逆川』の名が
生まれたのでしょう」。

 国分寺への右の道を行く。地名が国分で一帯が国分寺跡である。

 「相模国分寺阯保存指定地 従是西百十間 北百四十間」と書かれた内務省の標示杭が
立っている。

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 国分寺跡の一角に「温故館」という郷土資料館
がある。今日は休館日であった。

 建物の横に左から「相模国分寺趾」
「国分寺七重塔」「国分寺中門」
という
標示杭が立っていた。

 国分寺跡は、建物はなく広い原っぱで、南側に中門と南西廊跡が礎石を置いて再現して
ある。

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 その奥に七重塔基壇
とその上の礎石が復元
されている。

 金堂跡は私有地の畑
と林の中にあるらしい。

 国分寺跡の外側に「逆川」のバス停がある。
 この近くに逆川の遺跡で唯一残っている船着き場があるというがわからない。

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 国分尼寺跡は国分寺跡から北に数百メートル行ったところに
ある。
 相鉄線の踏切と小田急線の踏切の間で小さな公園に
なっている。

 境内の一角に庚申堂が立っていて、
寛文6年(1666)の三猿だけの庚申塔がある。

 道をはさんで、長い参道と石段の上に弥生神社がある。

 昭和37年(1962)の「しょうわ」狛犬がいる。

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 この神社と隣の龍峰寺を含め、一帯が清水寺公園となっている。緑が多く静かな一角である。

 坂を下りて、小田急海老名駅で乗車して帰宅。

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